悩みを話したからといって、どうなるの? ~カウンセリングは「語り合う場」語ることで見つかる『生きやすさ・悩みの解決策』~

こんな方へおすすめ

  • 悩みを話すことに懐疑的な方
  • ずっと悩んでいることがあり、どうしたらいいのかわからず八方塞がりにように感じている方
  • 「もう明日なんかこなければいいのに・・・」と考えている方

「話したってなにも人生変わらない」?

「話したって何も変わらない。」
そんな風に考える人は多いんじゃないでしょうか?

この記事を書いている私も、
「話したって悩みが解決するわけじゃない。」
「余計なアドバイスをもらって、逆に疲れるだけ。」
「結局解決するのは自分自身なのだから、ひとりで考える方がよっぽど効率的。」
と、考えているときがありました。

たしかに、いま抱えている悩みを話したからといって、その悩みが途端に消えるわけでも、誰かが勝手に解決してくれるわけでもありません。

では、なんで「話す」ことは一般的におすすめされるのでしょうか?

『話す』ことで、悩みの矛盾やおかしな点に気づける!

頭の中で考えている悩みは、実はとりとめもなく、現実的・論理的でないことがよくあります。


「いまこの仕事を辞めたら、私はもう生きていけない。だからやめられない、でも苦しい。どうすることも出来ない…。」
「わたしの性格・特質上、どうしても人付き合いがうまくできない。だから一生ひとりで生きていくしかない、でもそれは寂しい…。」

上記のようなお悩み、ありませんか?
全く一緒ではなくとも、『頭の中で物事の行く末を結論づけて、結果どうすることも出来ない悩みだと決めつけて、悩み続けている』悩み、ありませんか?

そんな悩みは、『話す』ことで悩みの中の矛盾やおかしな点に気づくことができます。

「本当にこの仕事をやめたら、私は生きていけないの?」
「本当にわたしはだれとも仲良くすることはできないの?」

頭の中では気づけない悩みの矛盾やおかしな点も、悩みを『話して自分の外に出す』ことで、気づくことができるようになります。

悩みを話す』ことは、悩みの中で溺れるのではなく、悩みを自分から抜き出し、外から悩みを客観的に見つめるようなイメージです。

「語り合う」ことで、新しい可能性に気づける!

「話す」と「語り合う」って、何がちがうのでしょうか?
話すことは一方的な行為ですが、語り合うことは双方的な行為です。

自分の悩みや考えていることを、ただ声に出して外に吐き出すだけなら、話し相手は誰だっていいかもしれません。
しかし、そんな吐き出した悩みや考え事に対して、再度検討してみたり、別の視点からみてみるためには、相手からの問いかけが必要です。

「もし本当に仕事を辞めたら、あなたはなにをやってみたいと思いますか?」
「仕事が苦しい…。もう少し、その苦しさについて詳しく教えていただいてもよろしいでしょうか?」
「あなたは自分の性格のどんなところが好きですか? その部分も、周りからは愛されない部分ですか?」

このような問いかけをされたとき、あなたは何を思い浮かべるでしょうか?


「悩みを話し、それに対して問いかけられ、それに応え…」を繰り返し語り合ったとき、わたしたち人間は、今の悩み・いまの自分の状況の中で、「どうしていけばいいか?」見つけることができます。

カウンセリングは『語り合う』場所です。

『自分から一方的に話して、相手からも一方的に話される』のは、普段の生活の中でよくあることです。

「自分の悩みの相談にのってほしかったのに、気づけば相手の話しばかりになってしまった・・・」
「悩みを話したんだけど、一方的なアドバイスばかり言われ、しかもどれも役に立たない・・・」

カウンセリングは上記のようなものではなく、あなたが話してくれた悩みを、一緒に語り合う場所です。
語り合うテーマは『あなたの悩み・ストーリー』で、そこから離れることはありません。

「ああ、わたしは、本当はこの部分が苦しくて悩んでいたんだ。」
「まだまだ私の人生、終わりじゃない。これからだ。」
「わたしだけの答えを見つけることができた!」

だからカウンセリングが終わった後、始まる前と比べて気持ちはスッキリし、身体は少し楽になっています。

悩みに溺れ続けるのでなく、そこから抜け出し、新たな可能性を一緒に見つけませんか?